ミリメートル水銀厨

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『グランド・ブダペスト・ホテル』の語りの構造について

 映画『グランド・ブダペスト・ホテル』を観た。面白かったのでTwitterに感想を呟こうと思ったのだが、書いてみたら呟くには長くなりすぎてしまったので、ブログにあげることにした。

 以下ネタバレを含む。

 

「いま」

  『グランド・ブダペスト・ホテル』は全体を通して非常にテンポが良い。無駄な動きも無駄な台詞もなく、100分できっちり物語をまとめてくる。「コメディ映画だから」「視聴者を飽きさせないため」といった理由ももちろんあるだろうが、『グランド・ブダペスト・ホテル』のテンポの良さは、主にその特殊な語りの構造に起因していると私は考えた。本記事では、語りの構造から生じる映像演出を取り上げながら、「なぜ『グランド・ブダペスト・ホテル』はテンポが良いのか?」という疑問に答えたい。

 

 『グランド・ブダペスト・ホテル』は4つの時代で構成されている。「現代」、1985年、1968年、1932年である。これらの時代は独立して存在しているのではなく、入れ子構造をとっている。1932年にロビーボーイだったゼロ・ムスタファが経験した物語を、1968年にグランド・ブダペスト・ホテルに泊まっていた「作家(Author)」にゼロ・ムスタファが語り、そのとき聞いた話を元に「作家」が1985年に「グランド・ブダペスト・ホテル」と題した小説を書き上げ、その小説を「現代」の女性が「作家」の墓の前で読む、といった具合である。

 各時代はアスペクト比の違いによって表現されている。「現代」はハイビジョン放送の16:9、1985年はシネマスコープの12:5、1968年はビスタサイズの1.85:1、1932年はスタンダードサイズの4:3となっている。現代を除く3つのアスペクト比は、その時代の映画の標準とされていたアスペクト比である*1

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「現代」                   1985年
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1968年                   1932年

  各時代の映像演出は、その時代の「語り手」と「聞き手」に大きく影響を受けている。順に見ていこう。

 

「現代」

 「語り手」は女性、「聞き手」はこの映画を観ている我々である。「聞き手」が我々であるため、映像は無臭化され、目立った特徴はない。ただし、劇伴は「語り手」の影響を受けている。「現代」では讃美歌のようなコーラスが劇伴として使われているが、これはいったい誰から誰への賛美なのか? ずばり女性から「作家」への賛美である。憧れの「作家」の墓に祈りを捧げ、墓の前で「作家」の著作である「グランド・ブダペスト・ホテル」を読む、「語り手」の敬虔な心持ちが劇伴に反映されているのだ。

 

1985年

 「語り手」は「作家」、「聞き手」は女性である。1985年の映像は、女性が読んでいる小説「グランド・ブダペスト・ホテル」の序文にあたると思われる。注目してほしいのが、「作家」が喋りだすのと同時に、陰になっていた顔に正面から光が当たるところである。「語り手」である「作家」が、「ここから物語が始まる」と「聞き手」に伝えていると考えられる。

 

1968年

 1985年と同じく、「語り手」は「作家」、「聞き手」は女性であるが、「語り手」が同じでも心情は同じではない。「深い孤独を感じさせたのは彼が初めてだった 私も同じ病を患わっている」と「作家」が語ったように、1968年当時の作家は孤独である。この時代の映像が、広角レンズで撮られ歪んでいるのも、当時の「作家」が孤独であったことを表している。

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広角レンズで撮ることで孤独を表す

 また、ゼロ・ムスタファが物語を語り始める直前、ゼロ・ムスタファにカメラが寄り、ホテルの照明が点いてゼロ・ムスタファの顔が陰になる。「作家」ほど語りが上手ければ、回想でのホテルの照明も自由に操ることができるというわけだ。

 

1932年

 『グランド・ブダペスト・ホテル』の大部分を占める1932年は、「語り手」がゼロ・ムスタファ、「聞き手」が「作家」で進行していく。語りの入れ子構造の最深部であるため、この時代の映像のおかしさは際立っている。建物や乗り物はおもちゃのように映され、人物の動きはやたら戯画的で、人物や物体は必ず正面や真横から映されてシャドーボックスのような構図になっている。これらの演出によって、我々はまるで紙芝居や人形劇を観ているかのような気分になるが、これはまさに1932年の「語り手」ゼロ・ムスタファが、紙芝居や人形劇のような流暢さで語っているからに他ならない。

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おもちゃのようなケーブルカー

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戯画的な走り

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シャドーボックスのような構図

 また、都合が良すぎる位置にある小窓や、タイミングが良すぎる列車、音ハメかのように映像とシンクロした劇伴、軍人が振り返るまで顔に光が当たらないジョプリングなども、ゼロ・ムスタファの整然とした語りを想像させてくれる。

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都合が良すぎる位置にある小窓

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タイミングが良すぎる列車

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軍人が振り返るまで顔に光が当たらないジョプリング

 はじめの疑問に答えよう。「なぜ『グランド・ブダペスト・ホテル』はテンポが良いのか?」それは、元々のゼロ・ムスタファの語りが異常に上手く、さらにゼロ、「作家」、女性の3人の「語り手」を介したことによって、物語から徹底的に無駄が省かれたからである。

 

1968年

 「かすかな文明の光はまだあった かつての人間性を失い殺りくの場と化した世界にも 彼もその一つだった 他に何を言おう?」で締められたゼロの物語は、”作家熱”に苦しんでいた「作家」の人生を大きく変え、世界旅行をさせるに至った。

 

「現代」

 その「作家」が書いた小説「グランド・ブダペスト・ホテル」を読んだ女性の人生もまた、大きく変えられることであろう。

 

「いま」

 熱を帯びた「語り手」の語りは「聞き手」の人生を揺るがしかねない。 ウェス・アンダーソン監督がこれほどの熱量を持って作り上げた『グランド・ブダペスト・ホテル』を観たあなた方は?

 

 

 以上。今年も良質な映画に出会えることを願って。

*1:もっとも、この映画の舞台は架空の国ズブロフカ共和国が存在する世界で、この世界の映画が我々の住む世界と同様の発展を遂げたかどうかは定かではない